アメリカと交渉して日本の英国派遣軍を削減。余剰となった弾薬で再攻勢をかける。Glasgow方面の前進は捗らなかったが、日本軍がNewcastleを占領したことでイギリス西海岸航路の遮断に成功した。

これでロンドンを堅持していたUK Home Force(イギリス陸軍本国軍)は補給を絶たれて、持久戦に耐えられなくなった。もちろん、フランス・ドイツの陸軍はロンドンを包囲しない限り補給を絶つことはできないだろうけど、いずれにせよ防衛線の一角を崩したことには限りなかった。

日本軍がNewcastleを占領したのは9月28日。10月19日にはアメリカ陸軍の4個機甲師団がロンドン南西の防御線2箇所を突破し、Burgess Hillまで進撃。ロンドン防衛の主役となったドイツ軍が包囲を恐れて一部を後方に再配置したので戦況が好転。

10月23日にはイギリス海軍がPlymouth沖でアメリカ海軍に夜戦を挑むも敗走し、ついに、11月4日、イギリスが降伏した。

イギリス政府はエジプトに亡命してしまったものの、王室はロンドンに留まっていた。Buckinghamを動かなかったということだろうか。

George VIを想像してみる今日この頃。

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